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 アメリカズカップでの活躍、世界一周レースなど、様々な分野で活躍した世界的セイラー、サー・ピーターブレイクは、二〇〇〇年、アメリカズカップ防衛を果たした後の、第一回レースにかけつけてくれました。この大会の特別協賛のオメガのサポートで実現しました。
サー・ピーターブレイク  沖縄の海と、その自然と、人々と、太平洋を結ぶ海の文化に心をうたれ、次の訪問を約束して彼の新しい『ブレイク・エクスペディション』へ旅立っていきました。レースの世界で頂点を極めた彼が残りの人生をかけた海洋環境保護の活動は、人と地球の未来のために、海の文化を守ろうという『サバニ帆漕レース』と同じものです。「ノーウォーター、ノーライフ」。地球は水の惑星であり、水の質が生活の質を決定するという意味を端的に表現したこのフレーズは、たくさんの海を知る彼の豊富なセーリング経験から、水の惑星地球の将来を案じるブレイク卿自らの言葉です。
 志半ばで他界した彼の遺志を受け継ぐために。海とネイティブの文化を大切にする精神を大切に伝えるために、第三回大会より『ピーターブレイクメモリアルトロフィー』を設けました。
サー・ピーター ブレイク Sir Peter Blake K.E.B. サー・ピーターブレイク
 一九四八年、ニュージーランド・オークランドに生まれ。五歳からセーリングを始め、八歳で自艇所有、十六歳でオフショアレース艇に乗り、1,200マイルのロング・オフショアレースに参加、十八歳ですでに23フィート艇のオーナーとなった。一九七三年からは、四年に一度開催されるウィットブレッド世界一周レースに四回出場、一九九〇年には総合優勝を果たしている。しかし、何と言っても彼の名を世界に知らしめることとなったのは、一九九五年のアメリカズカップでのブラックマジック艇のリーダーを努め、カップをニュージーランドにもたらしたということだった。英国女王はこの偉業を讃え Knight Commander of the british Empire, サーの称号が許されるナイトの爵位を授与した。他にも一九八二〜一九九〇年にニュージーランド・スポーツマン・オブ・ザ・イヤー、ニュージーランド・セーラー・オブーザ・イヤーを数回受賞、一九九四年には、ジュール・ヴェルヌ・レコード杯で、ノンストップ74日22時間17分22秒で世界一周最速記録(当時)を樹立している。
 二〇〇〇年、アメリカ以外の国として始めてのアメリカズカップ防衛を果たした後、彼は競技生活からの引退を表明した。後半生を環境探査と保全活動に献身するためだ。『ブレイク・エクスペディション』を主宰し、未来を担う若者とともに、世界の海の現状を確かめ、その大切さを呼びかける活動を始めた。
 二〇〇一年秋、アマゾンでの活動を終えた後、海賊に襲われて死亡。享年54歳。彼の葬送の催しには首相とオークランド市長も参列、海上では、三千ものボート、ヨットが集まった。彼が5歳からヨットでセーリングした距離は50万マイルを越える。